「重要性過剰ポテンシャル」という言葉を知った。
何かに対して、過剰に、重要だという意味付けをして行動を促し、
逆に望まない結果を招いてしまうことだ。
まさしく、私がしようとしているYouTubeがその状態だ!と思った。
はじめは気楽な動機だった。
「神話に組み込まれた自己実現のシステム」を知って、誰かと共有したいと思ったのだ。
それが、すごいことを伝える、早く伝えよう、わかりやすいように伝えよう、
と、自分の中の重要性にすり替わっていった。
すると、自分を追い込み、縛り、緊張させていく。
ストレスを感じながら、無理やりやることになるから、
思うようにできなくて、どんどん自分を追い詰める方向に行っていた。
そのことを、夕食を食べているときに、夫に話した。

YouTubeをすることをすごい大変なことだと思ったり、
すごい重要なことだと思っていたんだよね。
行動としては、お味噌汁を飲むことと、YouTubeをすることに優劣はないんだよね

……。
YouTubeへの感覚を、お味噌汁で表現したらどうなるの?

えっ?……。
このお味噌汁、どの角度から撮ったら、おいしそうに見えるだろう?
いや、違うな。
このお味噌汁は、どう飲めば良いのだろう?
私はこのお味噌汁を飲めるんだろうか?
飲む資格はあるんだろうか?
飲む準備はできているだろうか?
え?そんなに難しく考えていたんだ……。

お味噌汁を、おいしそうに撮るのは工夫したほうが良いけど、
いろいろ考えているうちに、冷めて美味しくなくなるから早く飲んだ方がいいね。

そうだよね。私がおいしく飲むことが重要だよね。
話しているうちに、挑戦することに対しての、自分の根底にある思考が見えてきた。
そんなにも、私はYouTubeで発信することに重要性を置いていた。
楽しいという感覚はなく、大義になっていた。
自己実現には、自分という個性が重要と頭では分かったつもりになっていたけど、
自分に寄り添っていなくて、自分の外側を作り上げようとしていた。
できないわけだ。
神話に組み込まれた自己実現のシステムは、
自分という内側をしっかり創って、歩んでいこうというものだ。
このシステムを、私自身がしっかり受け取り、活用しつくそうと思った。
発信する動機という根本がぶれていたので、今回で「恵子猫奮闘記」は終了することにした。
気付かせてくれたのは、アニメ呪術廻戦の夏油の生き様だった。
好きや直観を追求していくと、思わぬところから教えてもらえる。
これこそ、自分に寄り添っていくと、道が拓けていく感覚だ。
今後は、自分の楽しいことを発信していこう。
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