現実創造をしたくて、いろいろな勉強をしている人は多い。
私もその一人だ。
何度か力で単発的なことは起こせても、あまり達成感を感じなかった。
どこかで、過去に起きた経験と比較してしまっていたからかもしれない。
私には、子どもの受験の際、家族で共同創造をしたという経験がある。
子どもと話し合い、やる!と決めた時に、ガチャガチャと歯車がかみ合うような感覚があった。
その後は、家族が信頼と尊重に基づき、協力し合う関係で受験に挑めたのだ。
私はサポートする側だったけれど、本当に無限の可能性があるんだ!!という経験をした。
その経験を、自分にも同じようにしたいのに、できないのはなぜだろうと長年思っていた。
あの、ガチャガチャと歯車がかみ合うような感覚を感じた後の迷いのない感覚を、もう一度体験したかったのだ。
「私が子どもに対してできたサポートを、なぜ私は自分にできないのか」
今まで、こればかりを考えていた。
無意識にできたことを、意識して再現しようということは想像以上に簡単ではなかった。
最近、ある情報に行きつき、自分と子どもとの間で、何が起こっていたかを違う視点からみることができた。
無意識にやっていたけど、確かにやっていたと思い起こす。
そこで、子どもにインタビューしてみた。
子どもに受験で挑戦すると決めた時に、気合を入れたかと聞いてみた。
こたえは「全然」
私:「えっ?よし頑張るぞ!とか思わなかったの?」
子ども:「まったく」
私「・・・マジか……」
これは、想像を超えた答えだった。
受験の時、私はサポートする側だった。
そのサポートを、もう一度同じようにできることばかり考えていた。
けれど、自分で現実創造するときは、私が子どもの立場もやるということだ。
ここは盲点だった。
私は、リラックスしていなかった。
できると思っていることに気合は要らない。体も緩んでいる。
難しいことをすると思うから、気合を入れて妙な力が入る。体が硬くなる。緊張する。
実は、YouTubeの準備が急に進んだ。
気合いもなく、なんとなーく本を手に取り、調べ始めた。
本人が、一番狐につままれた感じだった。
その、出来事の前に何をしたのか。
実家にいるにゃんこを膝に乗せ、1時間ほど、なでなで、ぐりぐり、もみもみ可愛がっていたのである。
幸せな時間だった。
そうとう癒されたんだろう。
夫に、「なんだか、優しい顔つきになっている」と、言われた。
その後に、物事が動き始めるという変化が起きた。
安心して、好きなことをして、癒され、リラックスしてほしい。
今まで、努力、頑張るでうまくいっていた人ほど、リラックスすることは、簡単ではないかもしれない。
けれども、風の時代の現実創造のコツは、真我が常にリラックスしている状態であること。
言い換えれば、自分らしくあり、自分であることを楽しむことだと思う。
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